ぜんぶ、じぶんしだい

去年の夏、京都という田舎から東京にある某投資銀行のインターンに参加した。洗練された社員さん、綺麗な丸の内ビル、群れる外人、エトセトラエトセトラ、血が騒いだ。こんな世界があるんだな、っと田舎者状態で衝撃を受けた。

2日目の夜の懇親会で、マーケットのセールスをしているOB女性社員に、暑苦しい質問をぶつけた。青かったな自分…w

「夢は何ですか」

夢こそが、人生のドライブだと思ってモーレツダッシュしてた時期だったから、当時の私は大真面目だった。社員さんは、一瞬目を泳がせて、そのあと、質問の意味が分からないというふうに首をかしげて、「夢?!」と笑った。「いいお給料貰って、毎日だんなさんと楽しい生活できてて、特に夢とかないけど」

衝撃だった。そんな人生、ありえねー、的な。その時は、私の就職の選択肢から外銀マーケは外れたはずだった。なのに、半年後結果的にふたを開けてみれば、まさにそんな環境にいる自分。毎日、楽しくて、刹那的に生きちゃう感じの雰囲気。夢って、なに?みたいなw 私も数年そんな業界にいたら、さっきのOB社員さんみたいな人になってるんだろうか。そんな懸念を相談するたびに、「最後は自分次第だよ」、っと周りの人にアドバイスされて。でもね、人間、環境に抗って自身の意思を貫けるほどは、強くないんじゃないの…。

空気吸って、食べ物取り込んで、排泄して、情報インプットしてはアウトプットして、そんな肉の塊が1980年代から2050年代まで存在してましたよね的な生き方って、やだな。理想的で、超無責任な言葉、「全部、自分次第」。 強くありたい。

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陳腐化する言葉:今を刻む

ことばって、余りに多くの人に使われて、手垢まみれになると陳腐化する。たとえ胸に響くような言葉でも、右耳から入って左耳から抜けていく。例えば、「生きる」という言葉。色々な意味があるけれど、いまを生きなさい、という意味で使おう。いわば、seize the day 。これってピンと来ない。もっと、何、とぶとか、刻み付けるとか、一瞬一瞬のこの命を、思い切り打ち込んでいく感じの表現があったらハッとするかも。今を刻み付けるわけ。今を完全に握りつぶしていくわけ。今を刻む。

摩擦、対立、不快

人は、意義や理念を守るために戦う。ぶつかり合う。そんなことのために、よくもまぁ大事な人生の有限な時間を使えるなぁと思ってしまうのだけど、そうではない。自分が異とするものに対して、全力でぶつかること。面倒だからと、流してしまわないで、おせっかいなおばさんのように執拗に食い下がること。そうした葛藤の中でこそ、人は輝く。それは、マクロでもミクロでも、何においても言えることなのかも。例えば、集団訴訟、マスコミの政治家・企業バッシング、恋人との意見の対立、自分の怠慢さを押さえつける勇気。それらを、勇気というのだろうか。

脳の世界の面白さ

最近、「進化しすぎた脳」という本を読んだ。BLUE BACKSという医科学系を扱った一見つまらなそうなシリーズのひとつなんだけど、この本に関しては一般人にも非常に分かり易く解説してあって面白かった!目から鱗状態。たとえば、人間の脳って目では見えないところを補完してるんだよ(目の前から赤いクレヨンを視界の端の方に移動させると、まだ赤く見えるんだけど、それは脳が「これは赤だろう」と判断して勝手に補完してるんだって!)とか、脳にはある種の電気信号が流れることで命令が伝わっていて、その電気を上手く読み取ったり操ったりすることで、生き物の動きをコントロール出来ちゃったりするらしい(ネズミの脳に電極を刺して、ラジコンみたいにしちゃった実験がある)。知らない世界が広がる。

人の脳って、全体の数%しか実力を発揮していないというけれど、実際そうらしい。人間の身体という制限のかかった乗り物に乗っているから、本来持っている能力を全て発揮する必要性がないらしい。実際、イルカの脳は人間の脳よりも大きくてモノ自体はいいのに、イルカの場合も身体が脳の力を制限してしまっているらしい。脳がさ、違う入れ物に入ったら、どれだけ凄いパワーを発揮するんだろう。

アメリカ大統領選とyoutube

youtubeといったツールの台頭によって、個人の発信する情報は1つの強力なメディアになりつつある。アメリカの大統領選を控えて、候補者や政治家をパロった面白い動画が次々に作成されアップされているのは、非常にアメリカらしい。

Condoleezza Rice

Hillary Clinton

Obama

こうやって政治家を皮肉ったり活用するパロディ動画を作ることに関しては賛否両論があると思うけど、政治が若者にとってより身近な問題だという意味では、意味があると思う。でも、日本では安倍首相や小沢民主党代表をパロった作品は出にくいかも…。